柄谷行人を解体する

批評家・柄谷行人を―カント、マルクスを視軸にして―読む

柄谷行人ほか『脱原発とデモ─そして、民主主義』筑摩書房

柄谷行人ほか『脱原発とデモ─そして、民主主義』筑摩書房

柄谷行人 デモで社会は変わる(2011年9月11日)
柄谷行人 デモは手段ではない
対談 柄谷行人×松本哉 生活と一体化したデモは手強い(2012年6月4日)
柄谷行人起草 7・1「野田やめろデモ」に向けての声明
柄谷行人鵜飼哲小熊英二起草 「デモと広場の自由」のための共同声明
柄谷行人 記者会見での発言(2011年9月29日)

宮崎学『「自己啓発病」社会』祥伝社新書

宮崎は一見ジャーナリスティックですが面白いです。近代日本人の上昇志向の分析から勝間和代茂木健一郎への批判まで。柄谷がただ知人だから書評した訳ではない感じがしました。


宮崎学『「自己啓発病」社会』祥伝社新書

 また、年間ベストセラーを見渡してみても、
 池上 彰『伝える力』(2010年の年間総合7位:トーハン調べ。以下同)
 茂木健一郎『脳にいいことだけをやりなさい』(2009年の年間総合9位)
 長谷部 誠『心を整える』(2011年の上半期総合8位)
 石井貴士『本当に頭がよくなる1分間勉強法』(2009年の年間ビジネス3位)
 勝間和代『起きていることはすべて正しい』(2009年の年間ビジネス8位)
 ……と、自己啓発本が毎年のように上位を占めている。

 また、経済評論家の勝間和代は、証券アナリストとしてのキャリアやワーキングマザーとしてウォール・ストリート・ジャーナル「世界の最も注目すべき女性50人」に選ばれたといった経歴をバックに、新しいアクティブ・ウーマンとして売り出してきた。

 勝間和代も同じである。

すべてを情報としてとらえ、自分をめぐる情報の流れを活発にすれば、どんどんよいことが起こる、というのが勝間流ポジティブ・シンキングの基本思想である。そして、そのように情報の流れを活発にするためには、周囲と情報のやりとりをするコミュニケーション・スキルを高めなくてはならない、その方法を教えてあげるわ、というのが勝間の売りなのだ。
 茂木にしても勝間にしても――茂木「脳をよくする」スキル、勝間は「情報力を発揮する」スキルという違いはあっても――、結局のところ、コントロール可能なところでだけ自分の心の動きを自分でコントロールするやりかたを教えているのだ。

 茂木や勝間が流行るのは、多くの日本人が、こういう考え方をもとめていたからだろう。

柄谷行人『哲学の起源』購入

sasaki_makoto2012-11-17

昨日、渋谷パルコで購入。

柄谷行人『哲学の起源』(岩波書店
柄谷行人ほか『脱原発とデモ─そして、民主主義』(筑摩書房
エルンスト・ブロッホ『希望の原理 第一巻』(白水社
ショーン・エリス、ペニー・ジューノ『狼の群れと暮らした男』(小牟田康彦訳、築地書館
高城剛『NEXTRAVELER Vol.1 沖縄』(セブン&アイ

11.11反原発1000000人大占拠

sasaki_makoto2012-11-11

16:30頃、雨の日比谷公園に着いた。
associations.jpの方々に会った。
10/13の日比谷野音にも来ていたという。

柄谷行人氏は11月まで北京清華大学で連続講義、その後、上海などで講演、12月に帰国するそうです。

絶対の自由

ゴーガルテン佐藤優が講演で言及していたが
無宗教だ、物語が終わったと考える事は危険だ。
そう思っている人間ほど簡単に物語に呑み込まれてしまう」
という趣旨だろうか。
オウム事件もちょうどNHKの番組を見た所だった。


世界宗教史8』(エリアーデ原案、ちくま学芸文庫

リヒャルト・シェフラー「啓蒙主義以降のヨーロッパにおける宗教的創造性と世俗化」

 フリードリヒ・ゴーガルテンにより強調されたプロテスタント的生活形式の「純粋な世俗性」は、そうした疑似宗教的誘惑に対する最良の防壁であろうか。

 こうした試みは、実際には逆に個々の世俗領域、とりわけ政治・社会的秩序やその改革の「再聖化」へと通じていたのであり、ゴーガルテンが警告せんとしたのもこのことであった。


島田裕巳「ハイパー・テキストとしての『世界宗教史』」

 エリアーデは、ヨーガの修行が目的とする「絶対の自由」について、それが「生命と人間の個性を完全に否定するという代償によって得られるもので」あるとも述べている。これはまさに、オウム真理教のなかで起こったことである。

仮象と観念

ナウマン任那や白村江の戦について書いているようだ。
以前、任那日本府ブルターニュ、日本=ブリテンかと考えた。


ネリー・ナウマン神道民族宗教」『世界宗教史8』(エリアーデ原案、ちくま学芸文庫

 ちょうどこの時代、日本の中心であったヤマトには、すでに、以前にその西や南にあった小国家を併合した強力な中心的国家が存在していた。まだ、本州の北の部分はこのヤマト王権の勢力圏外にあったが、朝鮮の南端は、長らくその所領となっており、この王権はここから朝鮮の政治情勢に影響をおよぼそうとしていた。しかし、五六二年にヤマト王権はこの領域を失い、そして約百年ののちに、まだ盟約の結ばれていた地域に配備されていた軍団が敗北し、これによって、ヤマト朝廷は、大陸の政治から最終的に閉め出されることになった。


任那(みまな、にんな、369年(〜400年) - 562年)は古代に存在した朝鮮半島南部の地域。
第二次世界大戦後、次第に政治的な理由により任那問題を避けることが多くなっていたが、倭が新羅百済を臣民とした等と書かれている、広開土王碑日本軍改竄説が否定され、史料価値が明確になったこと、またいくつもの日本固有の前方後円墳朝鮮半島南部で発見され始めたことなどから、近年ヤマト朝廷そのもの或いは深い関連を持つ集団による統治機関や、軍事的影響力および経済的利権の存在について認める様々な見解が発表されている。
西暦562年、任那日本府新羅によって滅ばされた。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BB%BB%E9%82%A3

任那日本府とは、日本書紀の雄略紀や欽明紀などに見える、古代朝鮮半島南部の伽耶の一部を含む任那にあった倭国の出先統治機関。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BB%BB%E9%82%A3%E6%97%A5%E6%9C%AC%E5%BA%9C



フォイエルバッハキリスト教の本質』

私は宗教自身に語らせる。

宗教は人間と動物との根本的相違に基づく。

(宗教は)人間の最初の、そして非直接的な自己意識なのである。

宗教とは人間の秘められた宝の厳かなる露呈であり、人間のもっとも内なる思念の表白であり、その愛の秘密の公然たる告白である。


マルクスヘーゲル法哲学批判序論』(マルクス・エンゲルス全集第一巻)

宗教とは、ある者においては現実の悲惨の表現であるとともに、ある者においては現実の悲惨に対する抗議行動にほかならない。


ポール・ド・マン「批評と危機」『盲目と洞察』(月曜社

そして、仮象(記号)と観念(意味)との統一は――ScheinとIdeeと言えば、実際、ロマン主義の理論家のうちに見いだされる用語だ――「美しい魂」というくり返し出てくるトポスのうちに具体化されたロマン主義的神話だと言われるのである。