柄谷行人を解体する

批評家・柄谷行人を―カント、マルクスを視軸にして―読む

読んだことある気がする

アンドレ・ジッド=ポール・ヴァレリー『往復書簡』

ポール・ヴァレリー

このでかい本(『資本論』)にはとても注目すべきことがたくさん書いてある。(…)これは、かなり分厚い自尊心で書かれているんだ。厳密さの点からすると、ときどきかなり不十分な点が目立ったり、つまらないことできわめて衒学的だったりはするけれど、いくつかの分析にはびっくりさせられる。ぼくが言いたいのは、事物の捉え方が、ぼくが頻繁に使う方法と似ているということ、そして、かなりの程度彼の言葉遣いをぼくの言葉遣いに翻訳することが可能だってことなんだ。対象はなんでもいいんだ。結局は、同じことなんだから。