模倣と創作の差異について
一九四八年に発表された「『罪と罰』についてII」は小林(秀雄)の批評作品の中でも「名篇」といわれる。
手法が愚鈍というのは、原作の第三編の最後部分のディテールがそのまま――原作と比較してみるといい、ほとんど同じである――反復されているからである。それならばいっそ引用してしまえばよさそうなものである。にもかかわらず、小林はこれを引用せず、反復的に再構成している。
柄谷行人の「内省と遡行」について同様の指摘を行なったのも
山城むつみだった。
山城氏は、NAM(入会前)の読書会で同席した。
良い体験だったと思う。
『NAM原理』からガンジーのボイコット・不買運動に
関する発表だった。
http://web.archive.org/web/20021031143934/www.nam21.org/~tokyo/study/studyold.html
NAMで過ごした一季節 Carl Cassegardに 攝津正(元NAM副事務局長) 2007年 6月22日(金)15時07分43秒
そして、千葉啓太らと共に、「読み書きパソコン」と称して、初歩的なパソコン講座を催し、飛弾五郎や山城むつみらと共に『NAM原理』連続読書会を催した。
http://6620.teacup.com/nam/bbs/33
『文学のプログラム』要約 http://togetter.com/li/8374
小林秀雄全作品 第16集 人間の進歩について 新潮社
読める、わかる――21世紀の小林秀雄。
科学にとって「自由」とは何か――昭和23年46歳、理論物理学者・湯川秀樹との対談「人間の進歩について」。さらに終生の先達、正宗白鳥との「大作家論」。他に「骨董」「チェホフ」「『罪と罰』についてII」等。
対談
批評のジャンルと知の基盤をめぐって 柄谷行人、関井光男
エッセイ
柄谷行人 またはサラエボに住む人びとも、雨が降れば傘をさして外出する 蓮實重彦
柄谷行人と私 後藤明生
尼崎のゴンタ 富岡多惠子
キミの石は全部死んでいる 久間十義
柄谷行人の批評
批評家としての柄谷行人 大杉重男
柄谷行人、批評と経済学 大黒弘慈
柄谷行人と夏目漱石 小森陽一
ボナパルティズムという問題 笠井潔
ジャック・デリダと柄谷行人 東浩紀
言語とモラル 日本の近代批評と柄谷行人 井口時男
江戸思想史と<外部性> 子安宣邦
柄谷行人の位相
柄谷行人と現代文学 川村湊
柄谷行人における翻訳 高祖岩三郎
論争家としての柄谷行人 石原千秋
柄谷行人における切断と反復 森村修
「他者」としての情況 柄谷行人と現代批評 高橋敏夫
エディターとしての柄谷行人 神谷忠孝
柄谷行人とアメリカの発見 高祖岩三郎
対談 日本近代文学の起源をめぐって ブレッド・ド・バリー、村井紀
柄谷行人の批評言語
交通 野村幸一郎
外部/内部 真鍋正宏
自己/他者 野村幸一郎
内省/遡行 真鍋正宏
形式化 野村幸一郎
起源 真鍋正宏
差異 野村幸一郎
制度 真鍋正宏
風景 野村幸一郎
自然 真鍋正宏
自己言及性/決定不可能性 野村幸一郎
固有名 真鍋正宏
非対称の関係 真鍋正宏
世界宗教 野村幸一郎
独我論 真鍋正宏
超越論的主体/超越論的動機 野村幸一郎
態度の変更 真鍋正宏
教える―学ぶ 野村幸一郎
交換 真鍋正宏
戦前の思考 野村幸一郎
小説の小説性 真鍋正宏
批評のテクスト
『畏怖する人間』 <党派的>な邪推を超えて 石阪幹将
『意味という病』の<意味> 池内輝雄
『マルクスその可能性の中心』 丹生谷貴志
『反文学論』 近代文学を「裏返す」試み 木村一信
『小林秀雄をこえて』 古俣裕介
『日本近代文学の起源』 制度と反復 岩見照代
『隠喩としての建築』 松本常彦
『批評とポスト・モダン』を読む快楽 石川巧
『内省と遡行』 窮通のエクリチュール 山城むつみ
『探究I』 他者とコミュニケーション 中村三春
『闘争のエチカ』 山田俊治
『言葉と悲劇』 単独者のトポス 今村忠純
『探究II』 新しい数学の可能性 池田雄一
『終焉をめぐって』 単独性の論理 木股知史
『終りなき世界』 歴史の並行と反復 与那覇恵子
『漱石論集成』 二重の否定という批評的契機 芳川泰久
『ヒューモアとしての唯物論』 <のんきな患者>のように 田口律男
『<戦前>の思考』 ロマン派という隠語 花田俊典
文献
柄谷行人著書、著作 関井光男
柄谷行人主要参考文献 野村幸一郎
批評=研究の転回●あとがき 関井光男
Kat Deluna