柄谷行人を解体する

批評家・柄谷行人を―カント、マルクスを視軸にして―読む

戦争は美しい

マリネッティ『ラ・スタンパ・トリーノ』

 二七年も前からわれわれ未来主義者は、戦争を美的でないと称することに反対してきた。……だからわれわれは確認する……戦争は美しい。なぜならそれは、防毒服や威嚇用拡声器や火焔放射器や小型戦車を用いて、人間が機械を制圧し支配している状態を、確乎としたものとするのだから。戦争は美しい。なぜならそれは、人間の肉体を鋼鉄に劣らなくするという夢に、実現の道を拓くのだから。戦争は美しい。なぜならそれは、花咲く野に、機関銃火の焔の蘭を、さらに乱れ咲かせるのだから。戦争は美しい。なぜならそれは、銃声や砲声、その合間の静寂、芳香や腐臭などを統合して、一曲の交響曲とするのだから。戦争は美しい。なぜならそれは、大型戦車や、幾何学模様をえがく飛行機の編隊や、炎上する村々から立ちのぼる煙の渦や、そのほか多くの新しい構築物を創造するのだから。……未来主義の詩人たち、美術家たちよ……戦争の美学のこれらの原理を想起せよ、これらによって……新しい詩、新しい造型をもとめるきみたちの苦闘に、輝きを添えるために!


上記はベンヤミン「複製技術時代の芸術作品」に引用されているため
湾岸戦争
バグダッドへの爆撃のテレビ映像が美しかった、
渡部直己が油まみれのウミウイラクの油田破壊によるものではないと強調、
ピンポイント爆撃の映像がゲームのようだった
などを思い出す。

柄谷行人の「戦争やナショナリズムは美学的である」
という言葉が分った気がする。


マリネッティ http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A3%E3%83%AA%E3%83%83%E3%83%9D%E3%83%BB%E3%83%88%E3%83%B3%E3%83%9E%E3%83%BC%E3%82%BE%E3%83%BB%E3%83%9E%E3%83%AA%E3%83%8D%E3%83%83%E3%83%86%E3%82%A3
冒頭の引用はイタリアのエチオピア植民地戦争の時の宣言文である。

戦争の映像は写真で
宣言文は印刷物で複製される。