柄谷行人を解体する

批評家・柄谷行人を―カント、マルクスを視軸にして―読む

柏・名戸ケ谷のケーヨーD2で買った自転車が盗まれた

ローソンでお菓子を買うと貰える
リラックマのボールペンのノーマルの顔が
柏・東上町店で無くなったようだ。

毎朝おにぎり、ジュースの他に
コアラのマーチを2個買っている。



坂口安吾堕落論」『文学季刊』一九四六年十二月号

 堕落自体は常につまらぬものであり、悪であるにすぎないけれども、堕落のもつ性格の一つには孤独といふ偉大なる人間の実相が厳として存してゐる。即ち堕落は常に孤独なものであり、他の人々に見すてられ、父母にまで見すてられ、ただ自らに頼る以外に術のない宿命を帯びている。
 善人は気楽なもので、父母兄弟、人間共の虚しい義理や約束の上に安眠し、社会制度といふものに全身を投げかけて平然として死んで行く。だが堕落者は常にそこからハミだして、ただ一人礦野を歩いて行くのである。悪徳はつまらぬものであるけれども、孤独といふ通路は神に通じる道であり、善人なほもて往生をとぐ、いはんや悪人をや、とはこの道だ。