柄谷行人を解体する

批評家・柄谷行人を―カント、マルクスを視軸にして―読む

5月5日「大江健三郎の文学を考える」シンポジウム

大江健三郎

私が文化勲章を辞退したのは、民主主義に勝る権威や価値観があることを私は認めないからです。これは極めて単純で、非常に重要な事です。


許金龍「「王殺し」:絶対天皇制社会の倫理との対決
――大江健三郎が『水死』において追及した時代精神の分析」

大江健三郎が1994年10月にノーベル文学賞を獲得すると、文部科学省は慣例に倣い、文化勲章をまだ得ていない大江健三郎にこの勲章を授与すべきだと提案した。毎年の受勲式は11月3日の皇居の「松の間」で行われ、天皇により文化勲章が授与される。これより前の1994年10月15日、大江は「戦後の一人の民主主義者」として天皇が授与する「国家の栄誉」――文化勲章を受け取れないと表明した。彼はまた、天皇第二次世界大戦が残した社会の等級制度の頂点にあるため、この勲章を受け取れば、彼が拒絶している日本の等級制度を自ら受容することになる、とさえ述べた。


レベッカ・ソルニット『災害ユートピア』(亜紀書房

地震(一九八九年一〇月一七日、カリフォルニア)は、数ヵ月間も続いた余震も含めて、人々を狼狽させたが、誰もが幾分ピリピリしていたものの、多くの人々が、少なくとも気持ちの面では貧しくなるよりは、豊かになっていた。

災害学の学者たちは、現在、権力者たちのこの恐怖に駆られた過反応を”エリートパニック”と呼んでいる。


小島信夫批評集成6 私の作家遍歴III』(水声社

スペインのベラスケスの、たとえば、その「侍女たち」というのはふしぎな絵であることは、よく知られている。

前にもいったと記憶するが、ミシェル・フーコーはたしかその『言葉と物』の第一章を、この絵の解説からはじめている。