柄谷行人を解体する

批評家・柄谷行人を―カント、マルクスを視軸にして―読む

中心、周辺、半周辺

石井知章『K・A・ウィットフォーゲルの東洋的社会論』(社会評論社

したがってウェーバーにとっては、アジアにおける中間団体としての非政府的勢力の欠如が必ずしも専制勢力の存立そのものを基礎づけていたわけではなかったのである。

すなわち、非政府勢力という中間団体の長がそれぞれの権力で均衡を保っている場合はともかくとして、そうでない場合にはただ抑制されない権力の累積傾向(cumulative tendency)が生じてくるという政治構造の内的メカニズムがそこには横たわっているのである。

ウィットフォーゲルによれば、例えばロシアに本来存在していなかった水力社会システムは一三世紀、モンゴルによるロシア侵略(タタールの軛)を契機にして中国からロシアに伝播し、一旦その政治・社会秩序が導入されると、それ以後ロシアではそれに基づいて自らの専制システム(ツァーリズム)が築かれていった(Oriental Despotism, p.161. 湯浅赳男訳『オリエンタル・デスポティズム』一八二頁以下参照。なお、A・トインビーはまさにこの点を「証拠のない、たいへんなこじつけだ」と批判している。Cf. Arnold Toynbee, Wittfogel's "Oriental Despotism," American Political Review, No. 52, 1958)。

すなわち、アジアにおける都市と農村において市民層と呼べるような身分や階級が存在したのか否か、西洋社会での市民総が中間団体を媒介にしてよりよく発展したとすれば、東洋的社会においてそれとの等価物、あるいは代替物が存在したのか、仮に存在したとすればそれがいかなる発展過程を遂げたのかという問いである。
 こうしたウェーバーの問題関心をそのまま引き継いだK・A・ウィットフォーゲルは、アジアの農村における村落共同体と同様に、都市における職業団体もまた、国家と農村、あるいは国家と労働者との間の「第三の領域」における専制権力から相対的に自由な中間団体として描き出した。

 ところで、強大な権力を独占する国家との関係における職業団体(Korporation)とは、ヘーゲルの『法の哲学』でそう理解されたように、司法活動とともに市民社会における諸身分の利益の実現と擁護のために結ばれるきわめて重要な中間団体である。

ウィットフォーゲルはその際、村落共同体と都市という「第三の領域」において専制権力から相対的に自由な「中間団体」が全体的権力に対するチェック機能たりえなかったことの根拠を、独立した政治性の欠如に求めている。

この指摘は、ウィットフォーゲルの郷紳=中間団体(勢力)をめぐる論理展開の不十分さを鋭く突いたものとして興味深く、したがってまた詳細な検討に値するといえる。というのも、一方で水力社会における中間団体(勢力)としての郷紳の政治性の欠如を指摘していたウィットフォーゲルは、他方で家長の権威を国家のそれと直接的に結びつけつつ、富裕な家族や郷紳といった名望家の政治的性格を描きだしていたからである。

だとするならば、そうした危険性を意識的に退けながらも、なおかつウィットフォーゲルのとらえた郷紳の実像に迫るべく、われわれはもう一度中国における中間団体の「政治性」をとりまく周辺の言説を振り返っておく必要があるだろう。

 ウィットフォーゲルによるアジアにおける中間団体の政治性についての最初の記述は、『市民社会史』(一九二四年)にまで遡る。

ここでもウィットフォーゲルは、中国の中間団体に「政治性」が欠けていたことの原因を、第一義的には経済的基礎に求めていた。

ここでも「政治的脆弱さ」(=強大な専制権力の裏返し)は中間団体の非政治性を説明する上での最後的表現にはなっておらず、その非政治性がマルクスのアジア的生産様式のもたらすさまざまなアジア特有の社会・経済的要因との関連で考察されている。

ギルドに象徴される非政府的中間団体が、例えばトクヴィルによって国家の専制に対する防壁としてとらえられていたのとは対照的に、全体的権力に対するチェック機能を果せなかったのも、中国における中央権力と中間勢力との相互利害関係に基づく第三領域でのバランス維持という局面が存在したこともさることながら、何よりも本来的かつ決定的には、官僚システムとは切り離された軍事的誓約団体としての政治性がそこに欠如していたという事実ゆえだったのである。


B・オーレアリー "The Asiatic Mode of Production―Oriental Despotism, Historical Materialism and Indian History"

ウィットフォーゲルは、周辺及び半周辺水力社会の秩序(すなわち、一つのタイプから他のそれへと何度も横断する――そして再び元に戻るか――あるいは一つのタイプから他のそれとして分類するのが困難であるかのいずれか)との間の「制度的境界を横断する」諸文明に多くの頁を割いている。

明らかに周辺的、半周辺的水力社会は――中心の水力的専制主義とは異なって――変化し、転換することが可能なのだが、ウィットフォーゲルはこの許容の重要性を詳細に考察しなかった。


石井知章『K・A・ウィットフォーゲルの東洋的社会論』(社会評論社

例えば、この八九年の民主化運動に参加し、その政局の展開に重要な役割を果たした劉暁波も、反専制主義の立場を中国の知識人の一般的傾向としてとらえている。