共和国の逆襲
共和国は失われた。
マルチチュードはブルジョアジーやその他の排他的・限定的な階級形成とは対照的に、自律的に社会を形づくる能力をもつ。これこそが――本書で明らかにするとおり――マルチチュードによる民主主義の可能性の中心をなすものなのである。
このように、戦争を国家間の紛争のみに限定するという近代的戦略は、中央アフリカからラテンアメリカ、インドネシアからイラクやアフガニスタンにいたる武力衝突に見られるように、数え切れないほどのグローバルな内戦が勃発している今日、ますます現実味のないものとなりつつある。加えて国民国家の主権が衰退し、その代わりにグローバルな〈帝国〉という形で超国家的レベルの主権が新たに形成されるなか、この戦略はより一般的な形で有効性を失いつつある。私たちは戦争と政治の関係を、この新しい観点から見直さなければならない。こうした状況を、近代自由主義の夢――カントの永遠平和の概念から国際連盟や国際連合の創設を導いた実際的なプロジェクトにいたるまで――を実現する契機だと見ることもできる。
しかし今日の世界は、この夢の実現に向かうどころか、永続的で不確定な戦争状態という悪夢へと突如逆戻りし、国際的な法の支配は中断され、平和の維持と戦争行為との区別さえ曖昧になっている。
ゴーレムが徘徊している。
手短にいえば、文化大革命は「永久革命」という問い、すなわち、工業労働者や農民によるラディカルで終わりのない階級闘争のプロセスという問いに応えるものと映ったのだ。
クラストルは人類学的視点から戦争の特性を研究するなかで、抑圧者による戦争を被抑圧者による戦争と決して同一視してはならないと主張している。