柄谷行人を解体する

批評家・柄谷行人を―カント、マルクスを視軸にして―読む

金曜、新宿のリンカで忘年会

sasaki_makoto2006-12-20

翌日、死体遺棄事件を知る。

土曜と日曜、NHKと教育テレビで
「アイネ・クライネ・ナハト・ムジーク」、
交響曲第40番」ほか、モーツァルトを聴いた。

後者は姿勢の悪いピアニストの映し方が
のだめカンタービレ」かと。
(ドラマはドタバタなので第2回までしか見ていない)



沈仁安『倭国と東アジア 東アジアのなかの日本歴史1』(六興出版)


 景初四年銘斜縁盤龍鏡 1986年、京都府福知山市天田子字広峯・広峯15号墳出土。

 「景初四年五月丙午之日,陳是作鏡,吏人名之保子宜孫,壽如金石号」。魏の明帝は景初3(239)年1月世を去り斉王芳が新帝に即位した。翌年「正始」に改元されたので,「景初四年五月」は実際には存在しない。故にこの鏡が中国製とは考えられず,日本製の可能性が強い。


 「倭」は直接「人」を偏旁としているが、軽蔑あるいは不潔という意味はいささかもない。


 このために、朝鮮文化は弥生文化の成立と発展にとって決定的な要因となったとは断定し難い。


福知山・景初で、丹波・但馬地方、天之日矛神功皇后を思い出す。
森浩一・東潮・田中俊明高句麗の歴史と遺跡』(中央公論社)によれば
高句麗でも中国の元号を誤った鏡が作られたようだし、
中国国内でも誤る可能性はあるのではないか。


中国人の日本史研究者・沈氏の著書は
「落ち着いた大人の議論」という感じ。
邪馬台国論争に興味ある方にオススメ。


ボストンといえば、美術館の仁徳天皇陵の遺物ですかね。