柄谷行人を解体する

批評家・柄谷行人を―カント、マルクスを視軸にして―読む

哲学と構想

ユルゲン・ハーバーマス『他者の受容 多文化社会の政治理論に関する研究』
(高野昌行訳、法政大学出版局

すでに存在しているものをただ解釈学的に説明するだけの哲学は、批判力を失ってしまうだろう。哲学は実際に定着している信念を引き継ぐだけでなく、理性的正義構想という基準を用いて、その信念を判定できなければならないのである。他方で哲学は、正義構想をフリーハンドで組み立ててはいけないし、社会を無能力と見なし、社会に自らの構想を規範として押しつけることも許されない。哲学は実在性を無批判に強化することを回避し、パターナリスティックな役割へと転落することも回避しなければならない。哲学は慣れ親しんだ伝統をただ受け容れることも、よく秩序づけられた社会のデザインに実質内容という色を加えてしまうことも禁じられているのである。


流通とコミュニケーションのグローバル化、生産と金融のグローバル化、技術と武器の拡散のグローバル化、とりわけ環境問題リスクと軍事リスクのグローバル化は、国民国家の枠組み内部でも、あるいはまた従来の主権国家間の取り決めという方法によっても、もはや解決できない問題をわれわれに提起している。このままでは、国民国家の主権の空洞化が進行し、超国家レベルでの政治的行為能力の創設と拡張とが必要となるだろう。その始まりをわれわれはすでに目にしている。ヨーロッパ、北アメリカおよびアジアでは、各大陸単位の「制度」のための超国家的組織形式が生まれてきている。これらは、近年極度に影響力の低下した国連に、必要な下部構造を供給しうるようになるかもしれない。


新しい世界の政治秩序・経済秩序を作成する権限を国連とその地域的組織に与えようという、超国家的執行機関についての楽観的見通しには、懐疑的な問いが影を落とす。